関のマンションから郡上の実家へ

2025年7月3日 / その他

2009年、有限会社ロフロデザインは、岐阜市長良から関のマンションに引っ越した。
つぎに昨年2025年12月、関のマンションから郡上八幡(相生)の実家に引っ越した。

16年間も、同じ環境で仕事をしていては、デザインスタイルが固着すると思ったので、移動した。

郡上市内の「M社の会社史制作」に集中したいこともあった。

両親が高齢になったし、実家の守りもあるなぁと思ったこともある。

諸事情を鑑みて、新環境で仕事することにした。

まず、嬉しかったのが、朝はうぐいすの声で起こされるのである。
緑がいっぱいなので、コンピュータで疲れた目を癒やすのには調度いい。
何よりも、静かなのが最高だ!

上記の写真が、我が家なのだが、僕は右側の3階建ての2階をデザイン事務所してる。1階は住まい、3階は図書室だ。

左側は明治時代に祖父・浩が建てた母屋。

あまりにも大きいので「あ〜どうしよう(汗)」と思うのです。

父の康平は、「カーテンを開け閉めするのも健康のためになる」と耳心地のよい言葉を放つ。

うちの息子たちは、こんな田舎で暮らすとは思えんしな〜と考えながらも将来に夢を抱きつつ、頑張るのである。

現在は、東京の編集社ともオンラインで仕事ができている。
仕事の最初と途中、最後くらいはクライアントと顔を合わせて打ち合わせをし、後は「Slack」というLINEやMessangerのようなコミュニケーションアプリを使って進行している。

うむ、確かにどこに居ても、仕事はできるんだなぁ…

 

もう、無くなった仕事

2025年6月30日 / その他

ぼくが最初に覚えた仕事が「版下」という仕事でした。

ご存知でしょうか?
今はもう、そんな仕事はありません。

デザインと印刷の中間の仕事です。

 つまり、「デザインされた物を印刷用に版を作る」という業務です。

人の目にも止まらないような、すごい地味な仕事なのです。

調度、30年程前に僕が版下の仕事を始めたばかりの頃、Machintoshなるコンピュータが世に出始めました。

 当時勤めていた会社は、名古屋の「有限会社マイケル」という、面白い名前の会社でした。
そこの中村社長は「そのうち、コンピュータから印刷物が出てくる時代になるぞ〜」と言っていたのを覚えています。そうなのです、本当にその通りになったのです。

 版下をやりながら、Mac(Machintosh)を覚えて、時代と共に、手作業からコンピュータを使うようになりました。

元々版下仕事がしたかった訳ではなくグラフィックデザインがやりたかったので、岐阜市忠節のデザイン事務所で5年間、デザインの修行をしました。それで、2000年にデザイン事務所を起業!今年で25年目を迎えます。今でも協力しあっている友人デザイナーの小林(仮名)さんと今井(仮名)さんも、ほぼ同じような経歴です。

 いま現在、組版仕事をしています。組版とは前述した版下仕事のことです。これは単なる制作にすぎず、あまり面白みのある仕事とは言えません。簡単に言うと製造・量産仕事なのです。しかし、単価¥〇〇〇〇×90Pというかけ算で料金が発生するので、分かり易いのです。

それに比べると、デザインは非常に曖昧な要素を含むので、料金の算出が難しいのです。

 まぁ、どんな仕事が良い仕事なのかは分かりませんが、長いお付き合いのある太陽社(仮名)さんの仕事ですから、頑張ってやっている最中です。

では、そろそろおやすみなさい。

自治会の精神

2025年6月26日 / その他

 昨年からマンションの「自治会長」を務めています。
うちのマンションは創立23年目にあたります。
そろそろ、色んな所を修理しなければいけない時期に入ってきました。

 昨年2024年は、「インターホン」の取替工事を行いました。

なんと、1千百万円ほど掛かったのです。

 このインターホンは、全戸の防災感知機にも直結しており、もし、どこかで火災が発生した場合でも、警報が警備会社や近所に届くようになっているからです。

 この事業のおかげで、役員5名の皆さんが一致団結したような気がします。常に話合い、問題解決に向き合い、大きな事業をスピーディーに達成することができました!

 今年は、とくに修理するところも無く、平穏なマンションになることを祈るばかりです。今年1年を乗り切れば、自治会長の座から降りることができます。いや〜輪番制とはいえ、2年の自治会長は辛い辛い年月を乗り越えなければいけません。「世のため人のために生きる」とよく言いますが、無私の精神でより良い日本を作ることができる!…なんて志しを持てたなら、素晴らしい人間になることでしょう。

味噌部屋の片付け

2025年6月21日 / その他

 今年に入ってから、郡上八幡の実家にオフィスを構えました。
24年前に独立起業した時は、岐阜市長良だったオフィス。次は近隣、長良にて引っ越し。3番目が関市の自宅マンション内。で、今年に入って郡上八幡です。つまり現在で4拠点目になります。父・康平が仏画家だったので、母屋の隣に母・珪子が3階建てのギャラリーを建てていたのです。

 昨年から、84才の母・珪子に認知症が発生し、介護が必要になったことと、父・康平も89才の高齢なために、長男の僕が実家で両親の面倒を見ることにしました。

今のところ、世間で聞くような介護の大変さは想像以上ではないのですが、それよりもっと大変なのが、「自宅の管理!」ということでした。つまり、ほとんど使われていない部屋の多さと、僕のお爺さん・浩とお婆さん・三重子らが使っていた物の多さです。高垣家は僕でおそらく七代目?だと思うのですが、何と物を大切?または、ほったらかし?に置いてあるままなのです。「ぐえ〜!これどうすんの??」と思う物ばかり。

 見れば見るほどキリがないのですが、今日は「味噌部屋」の内部の廃棄に着手しました。大きな味噌樽や汚いシステムキッチンなどを郡上市の北部クリーンセンター(白鳥町)と郡上クリーンセンター(八幡町)に軽トラで運びました。「あ〜、もううんざり〜」と感じているのですが、まあ、誰かがやってくれる訳でもなく、しょうがないので僕がやっています。何たる夢のないお仕事(;_;。今日はあまりにも疲れたので久々にビール「一番絞り」でも飲んで、うさを晴らした!という次第です。

福沢諭吉著/文明論之概略を読んで

2025年5月4日 / その他

福沢諭吉の名著は、3冊あります。

最も有名なのが「学問のススメ」、次が「福翁自伝」、僕も初めて知ったのですが、「文明論之概略」という名著がありました。岩波文庫を購入したのですが、古文章だったため、とても読み辛くお手上げ状態でした。そこで、ちくま文庫の「現代語訳 文明論之概略/齋藤孝訳」をネットで購入し、再読しました。非常に分かり易く、大変ためになる内容でした。簡単に解説しますと、日本古来の儒教的思想はダメで、西洋の文化文明、哲学などをより多く取り入れよ。というものでした。智を持って国を発展させ、より高尚な精神へと成長し、広く世間を見渡して最善の判断をし、それを試していこう!と論じています。また、僕も取り入れたいのが、「カラリ」とした性格で、どんな人ともサクサクコミュニケーションを取って行く姿です。人は往々にして疑いや損得に囚われて、自分の言いたいことも言えずに泣き寝入りすることが多いと思います。目的を高く、福沢的に言えば「この日本を良くする」ということを念頭置いて物事を判断することが大事だと説いています。このように私利私欲の立場では無く公的な俯瞰した視線で物事を見るようにしたいと思います。

『郡上スクリーン印刷伝・改』2023年12月29日発刊 ! ! 

2024年1月1日 / その他

前著『郡上スクリーン印刷伝』から、4年。

株式会社ミノグループのご支援により、内容を修正加筆され、改版として出版されることになりました。

1年前から『ミノグループ史』の制作に取り掛かりました。

当初、僕はウォルター・アイザックソンの著作や、志村章子『銀座伊東屋100年史』を参考にして取材を始めたのですが、提案した企画がボツになってしまったのです。デザイン企画の仕事をしていて、常にある問題は、今まで積み上げてきたものがボツになった場合のコストはどうなるのか?ということです。顧客の要望していない物を提案してしまった場合は、こちらのミスである。再度チャレンジするしか方法がありません。しかし、もう既にお金が底を尽きてしまったため、行動するにも最高の倹約モードで動かなければいけません。

 

あと、他にも仕事がたくさん入って来て、優先順位などが混乱してきました。

いかに秩序だった行動がとれるかが、鍵になると思います。